
野口英世(細菌学者)の名言|努力で逆境を乗り越えた世界的医学者の言葉
野口英世(のぐちひでよ)さんは、1876年に福島県の三ッ和村(現在の猪苗代町)で生まれた細菌学者です。幼名は清作。幼い頃に囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負い、農作業が難しくなったことから、母・シカさんに励まされながら、勉学で身を立てる道を選びました。周囲の支援を受けながら医学を学び、やがて渡米。ロックフェラー医学研究所などで、黄熱病や梅毒などの研究に取り組み、ノーベル生理学・医学賞の候補に3度も名前が挙がるほどの存在になりました。1928年、アフリカのガーナで黄熱病の研究中に自らも感染し、51歳の生涯を閉じます。かつては千円札の肖像にも選ばれ、日本で最も知られた偉人の一人として、今も多くの人に親しまれています。貧しさや身体の不自由さという大きなハンデを背負いながら、誰よりも努力を重ねた野口英世さん。その言葉には、逆境の中で夢を追い続けた人ならではの、力強さと、母への深い感謝が込められています。
誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ。
野口英世さんを象徴する、最も知られた言葉です。天才とは、生まれ持った特別な才能を持つ人のことではなく、誰よりも何倍も努力を重ねた人のことなのだと語っています。
大やけどというハンデを抱え、家庭も裕福ではなかった野口さんが、勉強に全力を注いで道を切り開いた人生を、そのまま表した言葉です。
志を得ざれば再び此の地を踏まず。
上京する際の決意を示した言葉として、広く知られています。目標を成し遂げるまでは、故郷には戻らないという強い覚悟が込められており、実家の柱に刻んだとも伝えられています。
退路を断つことで自分を奮い立たせた、若き日の野口さんの気迫が伝わってくる一言です。
ナポレオンは、夜3時間しか眠らなかった。彼になしえられる努力が、自分になしえられぬはずがない。
偉大な人物が重ねた努力を、自分への励ましに変えた言葉です。ナポレオンが夜3時間しか眠らなかったという逸話を引き合いに出し、同じ人間である自分にも、同じだけの努力ができないはずはないと奮い立たせています。
憧れの存在を見て「自分にはできない」と思うのではなく、「自分にもできる」と考える、前向きな姿勢が表れています。
人は、四十になるまでに、土台を作らねばならぬ。
人生の時間の使い方について語った言葉です。40歳までに土台をしっかり築いておくことが、その後の活躍につながるという考え方が示されています。
若い時期の努力の大切さを説いた、野口さんらしい実践的な人生訓です。
人は能力だけでは、この世に立つことはできない。たとえ、立身しても、機械と同様だ。人は能力と共に徳を持つことが必要である。
能力だけでは、人として十分ではないと説いた言葉です。どれほど優れた能力があっても、徳を伴わなければ、機械と同じようなものだという、厳しくも本質的な指摘が込められています。
世界的な研究者として成功を収めた野口さんが、人としてのあり方を大切にしていたことがうかがえます。
自分のやりたいことを一所懸命にやり、それで人を助けることができれば幸せだ。
野口さんの幸福観を、シンプルに表した言葉です。やりたいことに全力で取り組み、それが人の役に立つのであれば、それが何よりの幸せだと語っています。
感染症の研究に生涯を捧げた野口さんの生き方が、そのまま言葉になったような一言です。
この世界には、人間の頭数と同様に、仕事は沢山あるはずである。
人の数だけ仕事があるのだから、自分の居場所は必ず見つかるという、励ましの言葉です。人はそれぞれ違う役割を持っていて、世の中にはそれにふさわしい仕事があるはずだと語っています。
自分には何もないと感じている人に、少し視野を広げてみるきっかけを与えてくれます。
この母なくして、医学者である自分はない。
母・シカさんに宛てた感謝の言葉として伝えられています。学問で身を立てるしかないと息子を励まし続け、学校に通わせてくれた母への、深い感謝がまっすぐに表現されています。
野口さんの成功の裏には、いつも母の存在があったことが、この一言からよくわかります。
私は少しも恐れるところがない。私はこの世界に、何事かをなさんがために生まれてきたのだ。
自分の使命に対する、強い確信を語った言葉です。恐れるものは何もなく、この世界で何かを成し遂げるために生まれてきたのだという、揺るぎない自信が示されています。
幼い頃のやけどという困難を乗り越えた野口さんだからこそ、この言葉には強い説得力があります。
過去を変えることはできないし、変えようとも思わない。なぜなら人生で変えることができるのは、自分と未来だけだからだ。
過去にとらわれず、変えられるものに力を注ぐという、前向きな言葉です。過去は変えられないけれど、自分自身と未来は変えられるのだという、実践的な考え方が示されています。
つらい過去や、うまくいかなかった経験を抱える人の、背中を押してくれる名言です。
僕はたとえ片手が不自由でも、きっと立派な人間になってみせるという、大きな希望を持っています。
左手に障害を抱えていた少年時代に、将来への希望を語ったとされる言葉です。不自由さを抱えながらも、立派な人間になるという大きな希望を、まっすぐに言葉にしています。
この希望を持ち続けたことが、野口さんが世界的な医学者への道を歩んでいく原動力になりました。
野口英世さんの名言を紹介してきましたがいかがでしたか?
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偉人や著名人、アーティスト、アスリート、マンガ・アニメの登場人物など、さまざまな人の言葉を紹介しています。名言だけを並べるのではなく、その言葉が生まれた背景や込められた意味、人物の歩みまで丁寧に調べ、今を生きる私たちにどのような気づきを与えてくれるのかを、わかりやすくお伝えします。
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