
影山ヒロノブ(歌手)の名言|どん底から世界へアニソンを届けた歌手の言葉
影山ヒロノブ(かげやまひろのぶ)さんは、1961年に大阪で生まれたシンガーで、「アニソン界のプリンス」と呼ばれる存在です。1977年、16歳でロックバンド「LAZY」のボーカルとしてデビューし、アイドル的な人気を集めましたが、バンドは数年で解散。その後は、小さなライブハウスを回りながら下積みを重ねる苦しい時期を過ごしました。転機となったのは、特撮番組『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌への起用で、以後、アニメや特撮のテーマ曲を数多く歌うようになります。『ドラゴンボールZ』や『聖闘士星矢』の主題歌など、誰もが一度は耳にしたことのある曲を世に送り出し、2000年にはアニソン歌手グループ「JAM Project」を結成してリーダーを務めました。著書『ゴールをぶっ壊せ』では、どん底の時代からの歩みを綴っています。アニソンが「声は知っているけれど顔は知らない」存在だった時代から、世界中で愛される文化になるまでを、歌い手として見つめてきた影山ヒロノブさん。その言葉には、挫折を経て、自分の居場所を見つけた人ならではの実感と感謝が込められています。
人気絶頂のアイドルシンガーから、道を失い、一度は地獄に叩き落された俺を、再び音楽のメインストリームに連れ戻してくれたのは、アニソンと、それを取り巻く人たちでした。
著書『ゴールをぶっ壊せ』に綴られた、影山ヒロノブさんの率直な感謝の言葉です。10代でアイドル的な人気を得ながらも、バンドの解散で道を見失い、「地獄」とまで表現する時期を経験したことが、飾らない言葉で語られています。
そんな自分を救ってくれたのがアニソンと、その周りの人たちだったという感謝は、影山さんがアニソンを大切にし続ける理由そのものといえます。
当時、ハードロック好きなやつってロンドンブーツとか履いてたんですけど、そういうのは絶対ダメだよって言われましたね
LAZYでデビューした当時を振り返った言葉です。本人たちはディープ・パープルのようなハードロックが大好きでしたが、所属先はアイドル路線を望み、髪を切るなど、好みとは違うイメージを求められたといいます。
やりたい音楽と求められる姿との間で揺れた若き日の話を、笑いを交えて語れるところに、長い道のりを乗り越えてきた余裕が感じられます。
90年代までの“アニソンシンガー”のイメージは、“声は知っているけど顔は知らない”という裏方的な存在でした
かつてのアニソンシンガーの立ち位置を、率直に振り返った言葉です。曲はみんなが知っていても、歌っている本人の顔は知られていない、いわば裏方のような存在だったという時代の空気が伝わってきます。
そこから、自らステージに立ち、顔と名前を知られる存在になっていった変化を、当事者として見てきた影山さんならではの視点です。
昔は低予算だったから、収録するとき、『40分以上歌わせないぞ』とか言われたことも(笑い)。そういう時代もありました
平成の31年間を振り返るインタビューで語られた、レコーディングの思い出です。限られた予算の中で、歌える時間まで制限されていたという、今では想像しにくい制作現場の様子が、笑い話として語られています。
苦労話を明るく話すその語り口に、どんな時代も前向きに歌い続けてきた影山さんの人柄がにじんでいます。
アニソンシンガーが歌う時代から、自分たちが得意な曲を作って、歌える、自由な世界になってきましたよね
平成のアニソン史を振り返って語った、影山ヒロノブさんの実感です。かつては決められたシンガーが歌うものだったアニソンが、アーティスト自身が得意な曲を作って歌える、自由な世界へと変わってきたと語っています。
自分たちの手で表現の幅を広げてきたJAM Projectの活動にも通じる、時代の変化への前向きな見方が表れています。
世界も日本も同じで、アニソンはオタクと呼ばれる人たちが聴くものだろうという世間の目が強かったんですけど、ここ10年くらい、そういう偏見や垣根がどんどん無くなってきていますね。
かつてのアニソンへの世間の見方と、その後の変化について語った言葉です。偏見の強かった時代を知っているからこそ、垣根がなくなっていく様子を、喜びとともに実感していることが伝わります。
アニソンを「長年歌い、支え続けてきた」影山さんが語るからこそ、この変化には重みがあります。
最初に呼ばれたときは、お客さんがいるのか不安だった
海外公演に初めて呼ばれたときの心境を、正直に打ち明けた言葉です。日本のアニソンが海外でどれほど知られているのかわからず、会場が埋まるのかと不安に思っていたといいます。
その不安が、現地で多くのファンが歌を知っていることを知って驚きと喜びに変わっていく流れが、この一言から想像できます。
日本のアニソンって、(海外でCDを)出そうと考えていないのに、米国、アジア、ヨーロッパのみんなが知っている。自然にインターネットの波に乗って、広まったという感じだと思います
アニソンが世界に広まっていった様子を、影山ヒロノブさんが自身の見方で語った言葉です。海外展開を狙っていたわけではなくても、インターネットを通じて自然に広がっていったという、不思議な広がり方が示されています。
意図せず世界につながっていったという実感は、アニメ文化の力の大きさを物語っています。
必ずしも日本との関係が良好ではない国でも、若い世代の人たちは、日本の文化をすごくリスペクトしてくれて、応援してくれます。僕がアニメ文化を通じていろんな国との接点になれるのであれば、そんな光栄なことはありません
デビュー40周年を迎えて、アニメ文化が持つ可能性について語った言葉です。国同士の関係が必ずしも良好でなくても、アニメを通じて若い世代が日本の文化を尊重してくれるという実感が、感謝とともに語られています。
自分の歌が、国と国をつなぐ小さな橋になれるのなら光栄だという謙虚さが、影山さんらしい一言です。
影山ヒロノブさんの名言を紹介してきましたがいかがでしたか?
あなたの知っている影山ヒロノブさんの名言がありましたらコメント欄で教えてくださいね。

偉人や著名人、アーティスト、アスリート、マンガ・アニメの登場人物など、さまざまな人の言葉を紹介しています。名言だけを並べるのではなく、その言葉が生まれた背景や込められた意味、人物の歩みまで丁寧に調べ、今を生きる私たちにどのような気づきを与えてくれるのかを、わかりやすくお伝えします。
コメント ( 0 )
トラックバックは利用できません。








この記事へのコメントはありません。