
藤子不二雄Ⓐ(漫画家)の名言
藤子不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エー/本名:安孫子素雄)は、1934年富山県生まれの漫画家。藤子・F・不二雄と共に「藤子不二雄」として活動を始め、『オバケのQ太郎』などのヒット作を生む。1988年に独立後は『笑ゥせぇるすまん』『魔太郎がくる!!』など、ブラックユーモアや人間の欲望を描いた作品で独自の世界観を確立。人生の光と影を見つめるまなざしと、遊び心あふれる創作哲学で、多くの読者に深い印象を残した巨匠です。
明日にのばせることを今日するな。
一見すると「怠け者の言い訳?」と思われがちなこの言葉、実は藤子不二雄Ⓐさんの人生哲学が詰まった名言です。戦時中に「今日できることは今日やれ」と教えられてきた彼が、映画『アフリカの女王』でハンフリー・ボガートのセリフに出会い、衝撃を受けたのがきっかけでした。
この言葉には、「焦らず、余裕を持って生きることの大切さ」が込められています。藤子不二雄Ⓐさんは漫画家として膨大な仕事を抱えながらも、遊び心や人との交流を大切にし、人生を楽しむ姿勢を貫いていました。だからこそ、笑ゥせぇるすまんのようなブラックユーモアに満ちた作品で人々の心のスキマを埋めることができたのです。
どうしても気分が乗らない日は、無理しないで帰っちゃう。
これは、藤子不二雄Ⓐさんが創作のリズムや自分の感情に素直であることを大切にしていた証です。無理に頑張るよりも、自然な流れに身を任せることで、ジャズの即興演奏のようにイメージが湧いてくる。そんな柔軟な姿勢が、50年以上も漫画を描き続けられた秘訣だったのでしょう。
自然界のエネルギーには必ず波がある。
この言葉は、人生の浮き沈みを善悪で判断せず、自然のリズムとして受け入れるという考え方を示しています。藤子不二雄Ⓐさんは、創作においても人生においても、無理に波を止めようとせず、流れに乗ることの大切さを説いています。
いざとなれば火事場のなんとかで、くぐり抜けられる。
この「火事場の馬鹿力」的な発想は、締切に追われる漫画家としてのリアルな実感から来ています。追い詰められたときこそ、人間の底力が出るという信念がにじんでいます。これは、創作だけでなく、人生のあらゆる局面で勇気をくれる言葉ですね。
ジャズの即興演奏みたいに、一気にイメージがわいてくる。
創作の瞬間を音楽にたとえたこの言葉は、理詰めではなく、感性と流れに身を任せることの大切さを教えてくれます。藤子不二雄Ⓐさんの作品に漂う間や余白の美しさは、まさにこの即興性から生まれているのかもしれません。
子どもの夢と願望はすべての人間の基本。
これは、藤子不二雄Ⓐさんが子ども向け漫画を描き続けた理由を端的に表した言葉です。夢や願望は、年齢に関係なく人間の根源的なエネルギーであり、それを描くことが人の心を動かす。そんな信念が感じられます。
人は職業につくのに、適正と不適正というものが先天的にあると思う。おれの場合サラリーマンは不適格なんだ。
この率直な言葉には、自分の特性を受け入れ、無理に型にはまらない生き方のすすめが込められています。「普通」や「安定」にとらわれず、自分の道を選ぶ勇気を与えてくれます。
そうやって自分に素直に生きてきたから、50年も好きな漫画を描いてこられたんだろうなあ。
これは、藤子不二雄Ⓐさんが自分の感性やリズムを大切にしてきたことの証です。無理に「こうあるべき」と自分を縛らず、自然体で創作に向き合ってきたからこそ、長く第一線で活躍できたのです。これは、創造性を持続させるための大きなヒントになりますね。
人間の弱さや欲深さを描き、それをブラックユーモアへと昇華する。
この言葉には、人間の闇を否定せず、むしろ笑いに変えることで癒しにするという、藤子不二雄Ⓐさんの独自の美学が表れています。『笑ゥせぇるすまん』などの作品に通じる哲学であり、現代にも通じる心の処方箋のような視点です。
若い人の作品を見ても『こんなすごい漫画、自分には描けないな』と感心するし、その進化は喜ばしい限りです。
これは、後進への敬意と創作の進化を喜ぶ謙虚な姿勢を示しています。ベテランでありながら、若い才能を素直に称賛できる姿勢は、まさに成熟した創作者の証。学び続ける姿勢が、彼の創作を支えていたのですね。
映画に限らず、外部からの刺激や、人間への興味が、僕にとっては漫画創作の源になっています。
この言葉は、創作の原動力は日常の中にあるという藤子不二雄Ⓐさんの姿勢を表しています。映画、会話、街の風景すべてがインスピレーションの源。これは、創作に限らず、人生を豊かにするヒントでもあります。
日本を一生懸命つくってきた同世代が弱っていく寂しい時代になりました。僕自身も高齢ではありますが、漫画を描く体力が残っていれば、ぜひシニア世代の人が元気づけられるような漫画を描きたい。
この言葉には、年齢を重ねてもなお創作を通じて社会に貢献したいという情熱が込められています。藤子不二雄Ⓐさんのまなざしは、常に人に向いていたのですね。
僕は20過ぎていろんな遊びを覚えたもので、そのまま子供漫画を描き続けるのが難しくなってきた。それで『笑ゥせぇるすまん』のような青年漫画に転向した。
これは、自分の変化を受け入れ、創作スタイルを柔軟に変えていく姿勢を示しています。時代や自分の内面の変化に応じて表現を変える。それが長く第一線で活躍できた理由のひとつです。
藤本くん(藤子・F・不二雄)は本当に才能のある人で、まじめで、僕と違って全然遊びをやらない人物でした。
この言葉には、互いの違いを認め合い、尊重する関係性がにじんでいます。異なる個性が補完し合うことで、藤子不二雄という伝説が生まれたのですね。
夢や天才のためにできることは、他にもいくらでもありますからね。
これは、焦らず、無理せず、自分のペースで夢を育てていくことの大切さを語った言葉です。夢の実現には時間がかかるもの。だからこそ、自然のリズムに沿って進むことが、長く続ける秘訣なのですね。
あなたの夢の実現や天才の発露には、どうしても時間がかかるものです。
この言葉は、才能や夢は一朝一夕には開花しないという現実を受け入れつつ、それでも信じて続けることの尊さを教えてくれます。藤子不二雄Ⓐさん自身が、長い年月をかけて自分のスタイルを築いてきたからこそ、説得力があります。
藤子不二雄Ⓐさんの名言を紹介してきましたがいかがでしたか?
あなたの知っている藤子不二雄Ⓐさんの名言がありましたらコメント欄で教えてくださいね。
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