ジャイアント馬場

ジャイアント馬場(プロレスラー)の名言

ジャイアント馬場(本名:馬場正平)は、昭和を代表するプロレスラーであり、全日本プロレスの創設者です。元読売ジャイアンツの野球選手から転身し、世界的なレスラーとして活躍。身長209cmの巨体と温厚な人柄で「世界の馬場」と称されました。プロレスを「楽しく明るいもの」として広め、数々の名勝負と名言を残しました。1999年に逝去後も、その功績は日本のスポーツ文化に深く刻まれています。

勝つまで打ち続けることだ

この言葉は、ジャイアント馬場さんの不屈の精神を象徴しています。「勝つまで打ち続ける」とは、結果が出るまで諦めずに挑み続ける姿勢を意味します。プロレスという過酷な世界で、勝利は一瞬で決まるものではなく、積み重ねた努力と粘りがものを言う。馬場さんはこの言葉で、勝敗以上に「続けること」の価値を語っているのです。挑戦をやめない者こそが、最後に勝者となる。そんな信念が込められています。

どうせやるならプロレスには負けて欲しくない。

この言葉にはジャイアント馬場さんのプロレスへの深い愛と誇りが込められています。「どうせやるなら」とは、人生や仕事において何かを選ぶなら本気で取り組むべきだという姿勢。そして「プロレスには負けて欲しくない」とは、他の格闘技や娯楽に埋もれることなく、プロレスが堂々と存在感を放ち続けてほしいという願いです。馬場さんは、プロレスを単なる競技ではなく文化として守り育てようとしていたのです。

人生はチャレンジだ。

「人生はチャレンジだ」という言葉には、ジャイアント馬場さんの生き方そのものが凝縮されています。プロ野球からプロレスへ転身し、数々の困難を乗り越えた彼にとって人生とは挑戦の連続でした。この言葉は現状に甘んじず、未知に飛び込む勇気を持てというメッセージでもあります。挑戦には痛みも失敗も伴いますが、それこそが生きる実感であり成長の源。馬場さんは、挑み続ける姿勢こそが人生を豊かにすると教えてくれているのです。

基本である1、2、3をきちんと練習しないで、いきなり4とか5をやるな。

この言葉は、ジャイアント馬場さんが説いた「基礎の大切さ」を端的に表しています。1、2、3とは、技術や思考の土台となる基本動作や考え方を指し、それを疎かにしたまま応用(4や5)に飛びつくことへの警鐘です。プロレスに限らずどんな分野でも基礎が身についていなければ、応用は形だけで中身が伴わない。馬場さんは地道な積み重ねこそが本物の力になると教えてくれているのです。

全力を出し切ることも無論大事だが、必要な時には80の力で相手の様子を見て凌ぎ、ここぞという瞬間に120の力を注ぎ、そして勝つ。

この言葉はジャイアント馬場さんの戦略的思考と勝負勘を表しています。常に全力でぶつかるのではなく、状況を見極めて力を調整することが重要だという教えです。80の力で相手の動きを探り、油断や隙を見つけた瞬間に120の力を注ぐことで、確実に勝利を掴む。これはプロレスに限らず、人生や仕事にも通じる知恵であり、冷静さと爆発力の両立が真の強さだと語っています。

5000の次は5001。

「5000の次は5001」という言葉にはジャイアント馬場さんの飾らないリアリズムと継続の哲学がにじんでいます。大きな数字に達してもそれは通過点にすぎず、次の一歩があるという意味です。達成感に浸ることなく、淡々と次を目指す姿勢は、日々の積み重ねこそが本当の強さだという教えでもあります。華々しい成果よりも、地道な継続に価値を置く馬場さんらしい名言です。

プロレスを超えたものがシューティングではなく、シューティングを超えたものがプロレスなんだ。

この言葉は、ジャイアント馬場さんがプロレスの本質と奥深さを語った名言です。シューティング(実戦的格闘技)がプロレスより上だとする風潮に対し、馬場さんは「プロレスこそが格闘技の集大成」だと示しました。単なる勝敗や技術だけでなく、駆け引き、演出、観客との共鳴など、総合的な人間ドラマがあるのがプロレス。馬場さんはその豊かさこそが超える力だと信じていたのです。

うちのプロレスには善玉も悪玉もないよ。

この言葉は、ジャイアント馬場さんが掲げたプロレス哲学の核心です。一般的なプロレスでは善玉(ベビーフェイス)と悪玉(ヒール)が対立し、物語を生み出しますが、馬場さんはその枠に縛られず、純粋な勝負と人間性を重視しました。観客に媚びず、演出に頼らず、選手それぞれの個性と闘志がぶつかり合う場としてのプロレスを追求したのです。善悪を超えた「人間のドラマ」がそこにあるという信念が込められています。

本当に痛い時に全然痛くない表情をしなければいけない。

この言葉には、ジャイアント馬場さんのプロ意識と美学が込められています。プロレスは観客に夢や興奮を届ける舞台であり、痛みを見せることでその魔法が途切れてしまうこともある。だからこそ、どれほど苦しくても平然とした表情を保ち、物語を壊さないようにする。それは演技ではなく、信念と覚悟の表れ。馬場さんは、痛みを超えて“魅せる”ことに徹する姿勢を貫いたのです。

僕にとってプロレスとはって言われたって、『商売です』としか言いようがない。

この言葉には、ジャイアント馬場さんの冷静な現実感と経営者としての視点が表れています。プロレスを「商売」と言い切ることで、感情や理想だけでなく、観客を楽しませ、会社を運営し、選手を守るという責任を背負っていたことがわかります。夢や情熱の裏には、綿密な計算と持続可能な仕組みが必要だという信念。馬場さんはプロレスを文化として育てるために、あえて商売と位置づけたのです。

無理をしたり、作り事をやったら、それはそれだけの世界なんだ。

この言葉はジャイアント馬場さんが語る「誠実さ」の哲学です。無理や作り事で成り立つ世界は、見かけだけで本質が伴わない。プロレスにおいても過剰な演出や虚構に頼れば、それはそれだけの世界で終わってしまう。馬場さんは自然体であること、真実に根ざした表現こそが人の心を打つと信じていました。リアルな感情と技術が交差する場にこそ、深みと説得力が生まれるのです。

太陽が沈む前、やや陽が落ちてきた頃の時間が好きでねぇ。完全に陽が落ちてまわりが暗くなると俺はなぜか『もう、うちに帰ろう』という気分になるなぁ。

この言葉にはジャイアント馬場さんの静かな感受性と人生観が滲んでいます。夕暮れの一瞬――昼と夜の狭間にある柔らかな時間に、彼は安らぎや郷愁を感じていたのでしょう。完全な暗闇ではなく、光が残るその「過渡の時間」にこそ、人の心が動く。「うちに帰ろう」という言葉には、舞台を終えた者の静かな帰路、人生の終盤への穏やかな受容が重なります。馬場さんの人間らしい温もりが伝わる名言です。

世田谷に土地を買ってあって、困ったときはそれを担保に銀行から金借りるの。40年会社経営やっていて社員の給料遅らした事は一度もないよ。

この言葉には、ジャイアント馬場さんの経営者としての責任感と誠実さが表れています。プロレス団体の運営は波があり、資金繰りに苦しむ場面もある中で、社員の生活を守ることを最優先に考えていた姿勢が伝わります。世田谷の土地を担保にするという具体的な手段も、先を見据えた堅実な判断力の証。華やかな表舞台の裏で、地に足のついた経営を貫いた馬場さんの人間的な深みが感じられる名言です。

みんなが格闘技に走るんで、私プロレスを独占させて頂きます。

この言葉にはジャイアント馬場さんのプロレスへの誇りと独自路線への自信が込められています。格闘技ブームの中で多くがリアルファイトに傾く中、馬場さんはあえてプロレスの魅力を貫き、他と差別化することで独占すると宣言しました。勝敗だけでなく、人間ドラマや観客との共鳴を重視するプロレスの価値を信じていたからこそ、流行に流されず己の道を歩む覚悟が感じられる名言です。

ロープに振られて反ってくるのは催眠術みたいなもんなんだよ。

この言葉はジャイアント馬場さんがプロレスのお約束をユーモラスに語った名言です。ロープに振られた選手が反動で戻ってくる動きは、現実には不自然ですが観客がそれを当然のように受け入れる様子を「催眠術」と表現しています。つまり、プロレスはリアルな格闘技とは異なり、演出や暗黙の了解によって成立する魅せるスポーツであり、その幻想に観客も選手も自然と入り込んでいるという深い洞察が込められています。

こんな簡単な技があるとは知らなかったよ。

この言葉はジャイアント馬場さんがある技を初めて使った際の率直な驚きとユーモアを込めた一言です。彼のような巨体と経験を持つレスラーが「簡単」と感じる技でも、実際には高度なタイミングや演出が必要です。この発言にはプロレスの奥深さと、常に学び続ける姿勢が垣間見えます。技の難易度ではなく、観客を魅了する魅せ方こそが重要だという馬場流の哲学がにじむ名言です。

楽しく明るいプロレス。

「楽しく明るいプロレス」という言葉には、ジャイアント馬場さんのプロレス観が凝縮されています。勝敗や激しい闘争だけでなく、観客が笑顔になれるようなエンタメ性や人間味を大切にする姿勢が表れています。善玉も悪玉もなく、誰もが楽しめる陽の文化としてのプロレスを目指した馬場さんの哲学は、時代を超えて多くのファンの心に響き続けています。プロレスを通じて、希望や温かさを届けようとする信念の象徴です。


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